皆さんお久しぶりです!
そろそろ秋の風が心地よい季節ですね。
季節の変わり目ですので、どうか体調に気をつけてお過ごしください。
さて、今回は軽い雑学を聞いてもらえたらと思います!(笑)
工事現場などでよく見かけるスローガンに「安全第一」というものがありますが、実はこのスローガンは日本で生まれたものではありません。
また、「安全第一」の後には「第二」「第三」と続きがあるのをご存じですか?
「品質第二」 「生産第三」という続きがあります!
日本ではあまり知られていませんが、実は元々はアメリカの企業で使われていたスローガンなんです。
日本では「安全第一」の部分だけが使われることが多く、実際に工事現場や工場などでは「安全」と「第一」の間に緑十字を挟み、「安全 ✚ 第一」と表記されています。
「安全第一」というスローガンが掲げられるようになってからは、実際に労働災害による死亡者数が1,000人を下回っています。
現代では信じられないかもしれませんが、高度経済成長期には労働災害によって亡くなる人が6,000人を上回ったこともあるのです。
元々は「生産第一」「品質第二」「安全第三」だった 1900年代初頭にはなんと「生産第一、品質第二、安全第三」というスローガンで、安全よりも生産性が重視されていました。
その当時、アメリカは不況に見舞われていたため、労働に従事する人は過酷で劣悪な環境で仕事することを与儀なくされていました。
そして、それらの過酷な仕事には命の危険が伴うことも多く、労働災害によって命を落とす人が後を絶ちませんでした。
世界の中でも圧倒的なシェアを誇っていた製鉄会社である「USスチール」でも、安全は二の次とされていたことから、労働者の多くが苦しめられていました。
そんな労働者たちの姿を見た社長のエルバート・ヘンリー・ゲーリーは大変心を痛めていたそうです。
ゲーリーはキリスト教徒でもあったため、労働者たちが苦しむのを放っておけず、1906年にスローガンを「安全第一、品質第二、生産第三」に変更しました。
そして、スローガンが変更された影響によって、労働環境が改善されて、実際に労働災害はみるみる減少していったのです。
その後、USスチールが世界的企業であったことから、「安全第一、品質第二、生産第三」は瞬く間に世界中へと広まっていきました。
日本で「安全第一」というスローガンが使われて100年以上?!
日本にこのような考えがもたらされたのは1912年(大正元年)のことであり、実は100年以上の歴史を持っています。
「安全第一」を日本に持ち込んだのは、古河鉱業足尾鉱業所所長であった小田川全之(おだがわまさゆき)氏だとされています。
それまでの日本には「安全第一」という考えはなかったことから、日本でも労働災害の数が減っていったそうです。
ちなみに、安全第一の間に掛かれる緑十字のデザインは「安全旗」と呼ばれるもので、1919年に採用されてから2019年で100周年を迎えました。
以上、「安全第一には続きがある」というスローガンにまつわる雑学でした。
今日も一日、ご安全に!!